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美しい日本の織物と絹製品の店

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Sayuri's Silk Road Story シルクロードと帯


 
◆シルクロードの歴史◆ 
シルクロードの歴史は古く、古代ローマ期にまでさかのぼる。ローマ人たちは、中国から輸入される絹を非常に好んだ。当時の皇帝の1人は、それをあまりに珍重するがため、一般の人々が絹をまとうことを禁じたほどである。

中国では、絹産業は一種の国家機密だった。絹、とりわけ秘蔵の蚕を政府の承認なしに国外へ持ち出すことは重大な犯罪であった。その事実が、当時、シルクロードを通じて全世界の人々を中国へ向かわせたのである。



◆キャラバン隊の役割◆

シルク製品は、1つのキャラバン隊によって数日間運ばれ、次の隊に引き継がれた。その道は、アジアから南ロシア、インド、ペルシャ、トルコ、そしてローマへと続いた。その道すがら、多くの新しいアイディアや発明、はては宗教までがとりこまれ、絹とともに取引された。かのイスラム教の教祖モハメッド(ムハンマド)も、7世紀頃、シルクロードを渡るキャラバン隊に参加していた商人だった。

また、絹そのものばかりでなく、織り方や柄といったものも、シルクロードを通じて伝えられていった。それゆえ今日、日本の伝統柄にシルクロードの西の果て、ペルシャの文様を見ることができるのである。

◆黄金の国ジパング◆

イタリアの商人マルコ・ポーロは、13世紀になって東洋からもどると、当時ヨーロッパの人々が知ることのなかったエキゾチックな島、シルクロードの彼方にある黄金の国ジパングのことを本に記した。当時、多くの人はその存在を疑ったが、今日それは日本であるといわれている。

 ◆帯の歴史◆
5世紀に中国の絹織物が伝わって以来、15世紀の室町時代頃までは、日本の着物は「小袖」とよばれる簡素で機能性を重視したものだった。小袖には6cmほどの幅のせまい帯が用いられていた。17世紀、戦乱の世が去って江戸時代に入ると、着物はさらに装飾性の高い形へと変化していく。

とりわけ帯は、もやは着物の一部にとどまらず、それ自体が1つの芸術と呼ばれるほどに進化していった。この時代、帯はますますその幅と長さを増し、幅にして約34cmにまで至った。柄も織り方も、さらに手のこんだ装飾性の高いものとなり、手描きで染めあげられた着物とともに、若い娘や歌舞伎役者、芸者といった人々の、それ自体「装飾品」になったのである。

今日、帯は着物にまつわる品々のなかでもっとも装飾性が高く、値のはるものになっている。その織り方や柄は何千というヴァリエーションがあり、また結び方も着る人の年齢や未婚・既婚の別、用途、季節などに合わせてさまざまである。

帯はうたがいもなく、日本の国の宝といえよう。